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イベント案内と報告

一泊研修会のご報告(2012年1月28日~29日開催)「世界一受けたい授業」 in 松島

神奈川支部2012年02月14日

今年度の支部研修は1月28日(土)~29日(日)、宮城県東松島市宮戸において行いました。ここ数年は大学のセミナー校舎にて行って来た研修会ですが、3・11の震災で大きな被害を受けながらも懸命に前を向き歩んでいる人々に寄り添いたい…と言う思いから今年は被災地へ伺うことにしました。

 

ネットで探しあてた宿は『大高森観光ホテル』。ホテルとはありますが、既に築40年を経た松島湾に面した民宿は、辛うじて津波の被害は免れたものの、建物の土台や玄関に通じる階段の損壊が大きく、排水も機能していませんでした。更に送迎用のマイクロバスも自家用車も津波で流され、従業員もみな解雇せざるを得なかったとのお話でした。電話で対話を重ねていくうち「いつか区切りをつけなければならない、そのチャンスかもしれない。じゃぁやりましょう!」とのお返事を頂いたのは初めてお電話を差し上げてから2か月が過ぎていました。

 

当日は東京駅に集合し、新幹線で仙台へ。仙台からこの宮戸のあるエリアまでの公共交通・JR仙石線は、津波の被害を受けて今なお途中で寸断されています。行けるところまでは東北本線のローカル線で向かい、後はタクシーでの移動となりました。途中、津波によって何もかもが流された広大な原っぱが拡がり、大きな沼かと思えたのは、津波の水が溜っているのだと。狭い小さな街でたくさんの人々が犠牲になったことも運転手さんが説明して下さり、瓦礫の山や青少年野外センターも見るも無残な姿を残していました。

 

今回は機械工学科教授の伊藤慎一郎先生にご同行をお願いし、ご講演をして頂くことにもなっていました。テーマは『世界一受けたい授業・生物に学ぶ、飛翔の科学、泳ぎの科学 ~人はどこまで速く泳げるのか~』。TV等の解説でもご活躍の先生の講演を、研修地・宮戸の皆さまにもぜひ聞いて頂こうということで、チラシを作成。会場は近くの宮戸市民センター(こちらも津波の被害を受けて仮設の建物)を民宿のお父さんが手配して下さいました。

 

作成したチラシは、センターの所長さんや民宿のお父さんが、仮設住宅を含めて200世帯余りの全戸へ、そして津波被害で三分の一にまで減ってしまった近くの宮戸小学校全児童(30名)に配布。また開催前日・当日は島内有線放送でのお知らせを繰り返し流して下さいました。

 

肌に突き刺さるような冷たく、強い北風が吹きつける中、お年寄りから子供まで20名弱の方々がお越しくださいました。ご講演は、伊藤先生開発に関わったバレーボールやサッカーボールを実際手に取ってみたり、泳ぎの科学では無駄のない泳ぎ=すっぽん泳法やウエアが泳ぎに大きく影響を与えるその謎、などなど楽しくお話して頂き、宮戸の皆さまも食い入るように身を乗り出しながら聴き入って下さいました。終了後、ご参加された方が伊藤先生に『先生からパワーをもらわなくちゃ!』と握手を求めていらした姿が印象的でした。

 

所長さんやスタッフの皆さんともっとお話をしていたかったのですが、民宿のお父さんが、大高森山(標高105.22m)からの夕陽をぜひ見せたいと、時間を気にして下さるので、ご挨拶もそこそこに荷物をお願いして登山道へと向かいました。雪の残る急斜面を登ってたどり着いた展望台から見た松島湾の大パノラマは、これから春へと向って、松島の新たな復興を願わずにはいられない、真に心に残る景色となりました。

 

民宿ではご家族皆さんが温かく迎えてくださり、夕食も若旦那さんが腕をふるったご馳走が並びました。海も漁協も大打撃を受けているので、無理はしないでくださいとお伝えしていましたが、知り合いの漁師さんがドーンと寄せてくれたという魚介類の数々。特に目の前の海から水揚げしたというプリプリの牡蠣は絶品でした。お風呂も一つは壊れてしまったので、男女交代で…という話だったのに、二つとも修復され大きな浴槽からは常にお湯が溢れていました。夕食後の懇親会では、被災地の状況や、これから私たちが何をすべきなのか?などなど深々と冷える奥松島の宿で遅くまで語り合いました。

 

翌朝は快晴! 朝食のあと、寄せて頂いたお礼を述べ、「また、ふらーっとお茶飲みに寄って下さいね。待ってますから。」との温かく優しい言葉には思わずこみあげるものがありました。氷点下の気温の中、民宿の皆さんに見送られながら、タクシーで松島海岸へ移動し、そこから湾内遊覧船で塩釜港へ。船内では、元気のよいお姐さんから、震災当時の様子やその後の状況をお話し頂きながら、小一時間の遊覧を満喫し、本塩釜からJR仙石線にて仙台へ、帰路に就きました。

 

想像を絶する震災から10か月余が過ぎ、いまなお不自由で辛い仮設住宅での生活を余儀なくされている方が多く、メディアからは伝わらない出来事も多々あることも感じ取ることが出来ました。

あの日のままの状況を目の当たりにし、被災した方々とも触れ合い、参加者それぞれが「何か」を感じ取れたのではないでしょうか。

私たちのできることはほんのささやかなことでしかありませんが、決して忘れてはいけない、末長く心を寄せていか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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