■第二回代議員会
2020年2月1日(土)午後1時より、東京支部2019年度第二回代議員会が工学院大学新宿キャンパス6階0663教室で開催されました。
委任状を含め過半数を超える59名の代議員の皆様にご出席いただきました。
田家副支部長の司会により、下記のとおり議事進行が行われ、議事内容が承認されました。
1、 役員紹介
2、 佐々木副支部長挨拶
3、 2019年度活動報告
4、 2020年度活動予定(案)
5、 その他 質疑応答
■第二回講演会
星先生による講演会
代議員会に引き続き、工学院大学新宿キャンパスで、建築学部まちづくり学科教授 星卓志先生による講演会を開催致しました。
テーマは「今日のまちづくりの話題」なのですが、先生が用意して下さった5つの演題の中から、参加者のアンケートで一番要望の多いものを講演する、ということでした。参加者がスマホでQRコードを読み取って投票すると、結果が集計されます。星先生が登壇されてから数分で、アンケート結果が出ました。
先生が用意して下さったのは、以下の5つです。
1、中心市街地問題
2、空間と場所(まちの価値を守る)
3、公共空間とエリアマネジメント
4、コンパクトシティの理念と現実
5、近代都市計画の成立と日本の都市計画
この中から、アンケートによって選ばれたのは、3の『公共空間とエリアマネジメント』でした。スライドの数が130枚もあって、時間内に終わるかどうか、という緊迫した空気から講演会が始まりました。
一部講演内容を後ほどご紹介致します。
■交流会
講演会終了後、8階ファカルティクラブにおいて、山田会計監査と渡辺副支部長の司会進行のもと、星先生を囲んで交流会が行われました。
後援会本部の石野会長による乾杯のご発声の後、会員の皆様の活発な交流の場となり、おいしい料理とデザートもいただくことができました。
ご多忙にもかかわらず、多くの会員の皆様にお集まりいただき、感謝申し上げます。今後とも、後援会活動へのご支援とお力添えを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。次回の支部行事にも、皆様のお越しをお待ち申し上げます。
文責:東京支部副支部長 諏訪園裕子
星先生のご講演より
⚫️公共空間
⚪︎20世紀前半
元来、道路、街路というものは人のための空間でした。そこで子供が遊び、井戸端会議が開かれていたのです。
しかし先見の明があった偉大な建築家ル・コルビュジエが、車が通ることを前提にしたまちづくりを提案しました。これからは車が普及して行くだろうと考えたのです。1924年のことです。中世ヨーロッパの石やレンガ積みの家に石畳という伝統的な街並みは、観光で訪れるには魅力的な空間でしたが、産業革命以降、労働者が都市に集中するようになり、非常に過密でまちの衛生状態も劣悪でした。そんな中でコルビュジエは、太陽と緑のオープンスペースを中心とした空間に超高層ビルという、それまでにないまちづくりを提案しました。工学院大学がある西新宿は、世界で最も忠実にコルビュジエの提案を受け入れたものと言えるそうです。車が中心で交通をさばくのが道路の役割なので、自動車は非常に走りやすく、渋滞が起こることはほとんどありませんが、そのかわりに人が歩くのにもちっとも快適ではありません。そもそもコルビュジエの提案が、都市に駐車場を作るためだったので、仕方がないのかもしれません。
⚪︎20世紀後半
長らく、交通をさばくことが道路の役割である、という考え方が続いていましたが、20世紀後半から21世紀になると、道路は人のアクティビティを展開する公共空間であるべきだ、という考え方に変わってきました。
•ストロイエ
1962年から続いているコペンハーゲンの歩行者天国です。駅前から完全に車を排除して、ヨーロッパ最長の歩行者天国として、現在も観光名所になっています。
•平和通り買物公園
1972年、旭川市に開設された日本初の歩行者天国です。国道を歩行者天国にしました。国道ですので本来は車優先なのですが、当時の市長が国と戦って勝ち取った歩行者天国です。
•サードストリート
人が通るだけではなく、もっと色々なことに使っていいのではないかという発想から生まれた、サンタモニカの歩行者天国です。商店街が衰退してシャッターが下りていた所ですが、路上パフォーマンスを許可して、テナントビジネスをきちんとやった結果、非常に素晴らしく再生しました。
⚪︎サード・プレイスという考え方
レイ・オルデンバーグという都市社会学者が、ベトナム戦争の帰還兵の生活を調査したところ、延々と続く住宅地の一角に芝の庭付き一戸建てを与えられ、職場と家を車で往復するだけのすさんだ生活を強いられていることが判明しました。生き生きと日々を過ごすためにどうすればいいか、オルデンバーグが世界中を調べて、第三の場所、サード・プレイス(家庭がファーストプレイス、職場がセカンドプレイスとする考え方)というものを発見しました。サード・プレイスとは、自宅でも職場でもなく、知り合いがいて、気ままな話ができて、自分の居場所と言えるような所です。サード・プレイスを持っている人は、とても豊かな生活を送っていました。そのいくつかを紹介します。
•カンタベリーのパブ
工学院大学建築学部のハイブリッド留学先です。何月何日に予約して2時間いくら、という形ではなく、たまたま来たら知り合いがいた、或いは一人で静かに飲むとか、ファーストプレイスからもセカンドプレイスからも解放された居場所になっています。
•カンポ広場
イタリアのシエナにある公共広場です。ヨーロッパの超過密な住宅地にあって、散歩、昼寝、読書ができる公共空間として機能しています。
•プライアントパーク
ニューヨークのマンハッタンにある公園です。高層ビルに囲まれた、高密度の場所にある公園でした。以前は薄暗くて、麻薬取引や売春が多く、普通の人はとても寄り付けない所でしたが、下枝を落として見通しを良くし、真ん中を広く開けて芝生にして、椅子を500個置いてみました。非常に安く、持っていかれてもいいような椅子ですが、それだけで大人気スポットになりました。芝生と椅子だけですが、パソコンを広げたり、食事や読書、ミーティングも昼寝もできます。天候には左右されますが、周りのオフィスにはたくさんの人がいるので、この公園を作っただけで、わっと人が出て来て、義務的な空間から解放されて自分の気分や欲求に応じて何でも使える場所になりました。ここにはそれだけ需要があったのです。
•丸の内仲通
単なるオフィス街だった所に、高級ブランドショップを招いて、通りを広くして色々なことに使えるようにしました。24時間とは言いませんが、オフィスワーカーで365日賑わうまちに変わりました。
•新宿シェアラウンジ
先ほど、西新宿は交通優先で広い歩道があっても快適ではないと言いましたが、星先生の研究室がお手伝いして、ビルオーナーによる協議会がこのラウンジに実験的に椅子とテーブルを置いてみたところ、日中はランチを食べる人で満席になってしまいました。椅子やテーブルなどちょっとした仕掛けをするだけで、ミーティングや食事などにあっという間に人が集まります。このような公共の広場は西新宿でもとても必要とされています。
•新宿三井ビル55ひろば
工学院大学の斜め向かいにある、新宿三井ビルにある広場です。都市の広場としてはかなり傑作です。ここでは、毎月持ち寄り宴会が開かれています。自分が飲む量、食べる量だけ持参してみんなでシェアするというルールで、4~5時間はそこで過ごすことができます。屋外でのとても気持ちの良い宴会で、居酒屋のような騒がしさもありませんし話は弾むし不思議と食べ物が揃ってあまりかぶらない。皆さんも是非お越し下さい。
•富山グランドプラザ
富山市にある半屋内広場です。富山市もかつては地方都市の中心市街地問題に直面し、商店街が衰退して問題になっていたのですが、商店街の再開発によって見事に再生した事業です。イベント、ショッピング、待ち合わせ場所など、多目的に使われています。単に広場を作っただけでは、富山のような人口密度の低い地域で、人々がすぐに利用するようになるのは難しいのですが、ここにはちゃんとマネジメントする人がいて、色々な仕掛けがあって、人々の居場所になっています。
•ニューヨークのタイムズスクエア
2009年夏に、ニューヨーク市が交通の移動生と安全性のため、車を締め出して人のための空間にしたのが、あの有名なタイムズスクエア歩行者天国です。ニューヨークは道路が多く、ドライバーは自然と迂回行動をとるので一箇所通行止めにしたからといって、大渋滞になることはないのです。
⚫️エリアマネジメント
エリアマネジメントとは、特定のエリアを単位に、まちづくりやマネジメントを積極的に行う民間組織の活動です。
星先生はエリアマネジメントを「変化の社会的コントロール」と呼んでいます。まちは常に変化しています。確実に木は育つし、人は年をとり、人が出て行ったり入って来たりする。その変化する先に何を目指すのか、という考え方が当然必要です。かつては行政がそのほとんどをリードしていましたが、近年では主体が変わってきています。
公共の空間を社会的にコントロールするためには、権限が必要です。行政からの権限移譲があったり規制緩和が伴わないと成功しないものです。
そして、広場のような空間があったとしても、それをどう活用していくか、そこにエリアマネジメント組織が活躍できる可能性が出てくるのです。
行政は管理することを重要視するので、禁止事項が多くなります。道路であれ公園であれ河川であれ、人々がいかに安全に過ごせるかが最重要課題になるし、公平性も求められます。しかし民間のエリアマネジメント組織なら、公平性を考える必要はありません。収益活動も可能になります。民間の建築物と一体化させる自由もあるし、人々のニーズを最優先にできるわけです。例えば先ほどの丸の内仲通も、沿道の店と道路を一体化して再生させることに成功したのです。横浜のみなとみらいも、周辺のビルがだれでも通れる空間を提供することによって容積率を緩和できる制度を使って、公開空地に客席を作るというこれまでに考えられないような使い方に変えました。実は横浜市の大英断があったのですが、ここにもしっかりしたエリアマネジメント組織がきちんと管理しています。大阪にも新宿にも同じようにエリアマネジメント組織が管理している空間があります。一つの店の利害ではなく、まち全体の利害を考えて計画できるのが、エリアマネジメント組織の最大の効果ではないでしょうか。きちんとした管理ができるなら、行政も彼らを信頼して権限を移譲したり規制を緩和したりできるのです。
星先生が担当された札幌のエリアマネジメント
⚪︎大通広場
明治2年に政府によって作られた北海道開拓の拠点が元になっています。大通公園という名称ですが、実は道路でした。公園になった後も道路によって分断されていますが、彫刻家イサム・ノグチが、1988年に8丁目と9丁目の道路を廃止してふたつのブロックを公園としてつなげ、彼の作品を置くことを提案しました。その作品とはブラック・スライド・マントラという滑り台で、子供たちが滑ることによって次第に削れて何年もかけて完成するという滑り台です。当時は、車のための道路を塞いで公園にするなんて100%ありえないことでしたが、道路をつなげて人のための空間にするという、板垣市長の大きな決断により、この公共空間が完成しました。イサム・ノグチの滑り台も置かれて、今では人気の公園になっています。札幌のまちが車のための空間を人のための空間に変えていくきっかけになる出来事でした。
札幌は区画が格子状のパターン(グリッドパターン)でメリハリがなく、どの道路も同じように見えて方位も非常にわかりにくいものでした。京都にもこのようなパターンは存在するし、世界中にあります。非常に公平に効率的に土地を使えるメリットがある一方で、わかりづらい構造でもあります。
この構造にメリハリをつけ、まちづくり計画に反映させようという取り組みが行われました。星先生が関わって、大通公園からの中心線を軸にして、公共空間を充実させた例をいくつか紹介します。
⚪︎札幌駅前通地下歩行空間
下に地下鉄南北線が通っています。1971年に、札幌オリンピック(1972年)のために作られました。歩行者の地下通路はすすきの駅から大通駅まで通っていましたが、大通駅からから札幌駅まではつながっていませんでしたので、長い間地下のネットワークがつながっていないことが懸案でした。ここの地下道が完成し、人の利用は増えたのですが、単純な地下道を作るだけではなく、地下道の周囲を広げて両サイドを貸し出し、展示、集会、パフォーマンスなど、一年中色々なことに活用しています。
⚪︎北三条広場
星先生が関わった中でもかなりのヒット作です。
北海道庁赤レンガ庁舎正門前から札幌駅前大通までの空間で、札幌駅ができる前は札幌のメインストリートでした。
直線道路の正面に、重要文化財などのモニュメントを設ける建築をアイストップと言います。日本のお城や天守閣などに向かう直線道路とその両側に銀杏並木が続くようなイメージで、真ん中を車が走るので、交通も集中しやすいものです。この北三条広場もかつては道庁に向けて直線道路が続いていて、渋滞も起きていました。
それで、この北三条広場に隣接する日本生命と三井不動産のビル建て替えをきっかけに、周辺の民間企業が集まり、ガイドラインを作り、ルールを作って、それに則して個別のプロジェクトを進めましょう、という話になりました。
立て替えた三井不動産と日本生命が駐車場の出入り口の向きを広場側に作らないなど様々な工夫により、この広場が歩行者のための空間になりました。
都市計画上も広場に変えようとしましたが、実はこの通りの下に下水管などのインフラが通っているので移設するには莫大な費用がかかります。これまでは道路だからそれができたのです。それで、ここを広場にするのは諦めて、用途を道路のままにして、表面にレンガを敷き、レンガの地表面は広場、レンガの下は道路ということにしました。このようにエリアマネージャーの活躍により、この広場を警察にも役所にも関わらずに、広場にすることができました。一般に貸し出しもしています。休日だと、全部を一日借りて50万円です。販売促進のイベントもあり、ビアガーデンなども可能でしょう。
⚪︎大通交流拠点地下広場
大通公園と札幌駅前通りが交差する大きな交差点周辺の複数のビルが立て替え時期を迎えていました。そこでここでも周辺の民間企業と地下鉄、地権者が集まって、ガイドラインを作り、それに則して個別のプロジェクトを進めることになりました。この交差点の地下は大通駅のコンコースで大量の人が通ります。改札から一気に人が出て来るので、その人々をさばく機能が必要でしたが、交通の案内センターや図書館の窓口などが歩行を妨げていたので、これらの施設を移設して、人のアクティビティができる場所、座ったり滞留したりできる場所を設けることになりました。柱にそってハイテーブルを置いたり、椅子を置くだけで、荷物を置いて電話したり、待ち合わせの場所にしたり、食事をする場所になりました。
⚪︎創成川公園
創成川は二宮尊徳の弟子、大友亀太郎が開削した大友掘りが前身になっています。大友掘りは、札幌をほぼ南北に流れていたため、明治2年にこの掘りを東西の起点として札幌のまちが作られました。戦後はこの掘り周辺にヤミ市が立ったりしていました。
時代が過ぎ、車社会になって道路を建設したときも、この創成川を埋めることなく、道路が整備されました。この川の両側に片側4車線の大幹線道路が作られました。
しかし、創成川は水が流れるだけで、人の寄り付く空間ではありませんでした。幹線道路には都心を通る車を流さなければいけないという使命もあります。データによると、都心をただ通過する車が3割ありました。環状道路を作り、迂回してもらうという方法もあるのですが、それだけでは絶対的に足りないので、片側4車線のうちの2車線はアンダーパス(道路を掘りさげて下を通る)にしました。それによって川沿いの空間が16mから30mになり、その一部を人のための空間にする親水プロジェクトを星先生が計画しました。こだわったのは、この川沿いの道をいかにバリアのない空間にするかということでした。結果的に、この公園には柵を作りませんでした。創成川は洪水になると水が溢れてしまう河川でしたので、柵を作るのは当たり前でした。上流の川の状況により日によって川の水位も変わってきます。柵なしで子供が落ちたらどうするのかという意見もありました。
ところが役所の治水課の人が、雨水が増えてきたときに直径1mの導水管で水量をコントロールし、水かさが一気に上がることを防ぎ、時間をかせぐという方法を提案してくれました。星先生はこの提案がとてもうれしかったそうです。この親水緑地空間は、にぎわう必要は全くありません。都市の空間としてだれかに必要とされればよいのです。
このように、公共空間のあり方として、これまでのように車が最優先というよりも、交通に少々遠慮してもらってでも、色々なアクティビティが展開できる空間にするように時代は変わってきました。
⚫️マネジメントする人
エリアマネジメントは、行政がリードするのではなく、民間の色々な立場の人が集まって地域の価値を高めていこうという活動で、NPOや株式会社など色々な組織があります。
かつては、マネジメントをするのは行政でした。行政は本来の機能を守ることが仕事で、公平性を重んじ、収益を上げることはないのですが、民間組織であれば、会社を作って、スペースの貸し出し、広告収入などで収益を上げることが可能です。
これからは屋外の公共空間が大事な時代になっていくでしょう。単に通過する道路としてだけではなく、人のために使うことによって都市空間が豊かになり、サード・プレイスになっていくのです。
民間組織にエリアマネジメント力があれば、行政はそこを信頼して、規制緩和や権限移譲して、市民のための居場所を提供できるようになります。この流れは、今後ますます広がっていくことでしょう。
①星先生の講演会
②建築学部の皆さん
③先進工学部と情報学部の皆さん
④電気系、機械系学部の皆さん
⑤役員、他支部、OBの皆さん