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2015年04月27日
今回は疋田副幹事長にインタビューしました。
☆先進工学部応用物理学科教授 疋田 光孝 先生
後援会幹事新任の疋田先生は、長野、群馬、埼玉支部などをご訪問されます。
記:HPWG
Q1:工学院大学との出会い
修士2年生のとき、学会発表のため同期4人と共に札幌から上京しました。新宿が珍しくて歌舞伎町の紀伊国屋書店を見て回ったり、用も無いのに京王プラザホテルのロビーをうろついたりしたものです。そのとき工学院大学の前を行き来しましたが、今考えるとこれが最初の出会いだったようです。
就職は、国分寺にある某電気メーカの研究所で、同じ部の先輩2名が数年置いて工学院大学に行かれたのを覚えています。研究は携帯電話のデバイス開発でしたが、当時は欧州のノキアやシーメンスが強く、デバイスを開発しては欧州メーカを訪問し説明して歩いていました。工学院大学にグローバルエンジニアリング(GE)学部が新設された時に、世界的な活動が買われお世話になることになりました。今でもGE学部の3年生全員が3週間海外留学するECP Abroadでは、毎年フランスとポルトガルへの学生引率を担当しています。
Q2:趣味・特技・ペットなど
娘が3人。長女の趣味ジョギングに誘われ一緒に走っています。三女の趣味山登りにも最近は一緒に行っています。次女の趣味マンガだけは付いていけない状態です。家内はネコをかっていますが、私には今一愛想が悪く、朝は機嫌が良いが夜は無視されています。昨年、八王子の河川敷で売り出された家庭菜園用の小さな土地を入手、これからが楽しみです。
Q3:出張いただく長野・群馬・埼玉支部地域での思い出
生まれは北海道のため本来なら札幌が最適かもしれませんが、授業の関係で担当出来ませんでした。
<長野> GE学部では、3年次の初めに企業からテーマを頂き、3、4年次の2年間で開発し企業に納めることで卒論とするECPがあります。長野には、ハイテク企業が多数ありECPのテーマも頂いて、学生と共に企業訪問もしています。企業と共に緑、畑も多くあり、長寿県でもある長野は将来の日本の理想郷かもしれません。
<群馬> 企業の研究所の時代には、女子ソフトボールで名を馳せた高崎工場へ良く出張しました。循環バス「ぐるりん」で途中山田電気の本社を横手に見ながら行ったものです。打ち合わせの後、新幹線を待つ間、高崎駅内の食堂のようなレストランで、打ち上げのため皆で飲んだビールの味は格別でした。
<埼玉> GE学部の創設当初は、教員全員が手分けして高校訪問し、新学部の設立理念の説明と宣伝を行ったものです。私の担当は埼玉県で小型のキャリーに資料を詰めて、多いときは日に8校、年間40校から訪問しました。東西に走る路線は多いが、南北の連絡はあまり良くない記憶があります。南北の移動に合わせて昼食を取りますが、埼玉県は食べ物の名店が多く、今回は何処で何を食べようかも訪問スケジュールの中で考慮したものです。
Q4:ご自分の研究を分かりやすく表現してください(20字以内!)
音や電波の色々な応用を探ってみる研究。
Q5:ご父母の皆様へ
女の子ですが3人育て、3人とも異なる大学を卒業しました。各大学の父母懇談会にもずいぶん出席しました。先生の一言に一喜一憂する親の役割を余すところなく演じてきました。大学に来て自分がご父母に説明する立場になり、ご子息とご父母の間を出来る限り埋めるべく説明をしていると、父母懇談会では何時も時間オーバーしています。大学は長い人生の一駒ですので、勉強はもちろんですが、振り返ってみて思い出の多い、一生の友達が作れる場にしてあげたいと思っています。
新宿に居室があるせいか、卒業生が良く立ち寄ります。自分も企業人だったせいか、社会人となったかつての教え子は逞しく成長したと感じる場合が多いです。大学生は親の手を離れる寸前とは言え、親に取っては未だ子育ての最後の段階、子育てに王道はなく常に新しい道を歩いているようなものと思います。大学、人によっては大学院、そして社会人へと、この時期は人生で最も大きく成長する時です。自分で乗り越えなければならないことも多々ありますが、親が愛情を持って見ていてくれることが一番の支え